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マリー・アントワネットが最期の日々を過ごしたコンシェルジュリー

今日はパリの中心、シテ島にあるコンシェルジュリーへ。


そもそもここは王宮の一部で、守衛「コンシェルジュ」がいたことに由来してコンシェルジュリーと呼ばれています。


その後、建物は牢獄と使用されるようになります。

フランス革命後は革命裁判所としても機能し、2年間で2780名が死刑に(恐怖!)



王族や貴族がことごとく収容され、「ギロチン控えの間」とも呼ばれていたらしい・・・。

実はマリーアントワネットもその一人、処刑前の2ヶ月半をここで過ごしました。



入ってすぐの「憲兵の間」。

ゴシック建築の天井が素敵💕


ヴェルサイユ宮殿や他の王宮と比べるとちょっと質素な気もしますが、ここは食堂の広間として使われていたそうです。


コンシェルジュリーの訪問で驚いたのが、訪問客が各自無料で配られるタブレット。


部屋の各所にそのタブレットでスキャンするコードがあり、それをスキャンすると部屋の説明書きと、部屋の様子が浮かび上がってくるんです。


例えば「憲兵の間」ならこんな感じ。



当時の部屋の装飾や家具などが浮かび上がってきて当時の様子がわかりやすいですね。


牢獄とはいえ元々は王宮であっただけに、要所要所に素晴らしい装飾がされていたことが分かります。



次の部屋の警備の間は王宮時代は待合室として使われていました。

コンシェルジュリーが牢獄となってからはここは監獄に改造されています。


セーヌ川沿いのこの部屋は浸水しやすく、自白を促すほどの不快さで有名だったそうで・・・想像しただけでぞくっとします。


コンシェルジュリーの牢獄ではお金のある裕福な人たちはお金を払って少しいい部屋を与えられたそうですが、お金がない人たちはここでぎゅうぎゅう詰めになっていたとか。





囚人の記録を残す登記所や実際に使われていた鍵などの展示もあります。

全体的に暗くどんよりとした雰囲気が漂います。





「名前の間」では1793年から1795年までに革命裁判で裁かれた4000人以上の名前が壁に記されています。

タッチパネルで経歴や裁判記録などのデジタル資料が閲覧できます。

マリー・アントワネットの名前も・・・`!



続く「囚人の廊下」は警備兵が牢獄を管理していた場所。


革命裁判所の活動が激しかった恐怖政治時代は、囚人は裁判の数日前に周辺の牢獄からここへ移送され、判決後はすぐに釈放されるか処刑されるかだったらしい。


ということは、一度コンシェルジュリーへ入ったら生きるか死ぬかの二択(怖)

そのためここの廊下は常に人が行き交っていたんだとか。



部屋をよく見るとシミが残っていたり・・・



部屋には太陽の光が入ることは無く、毎日ほぼ暗闇の中で過ごさなければならなかったという状況。


それでも面会室があったということだから面会は許されていたようです。

ここで家族や恋人が囚人に会いに来ることができたのがせめてもの救い。



そしていよいよマリー・アントワネットの牢獄へ。


囚人のための礼拝堂の奥に彼女の牢獄があります。

マリー・アントワネットの牢獄のあった場所には、ルイ18世によって贖罪礼拝堂が作られました。







今は小さな礼拝堂ですが、当時の様子はタブレットで確認することができます。


簡素なベッドと机と椅子のみが置かれ、反対側にあるついたての奥には看守のベッドが置かれていました。



脱獄を謀ろうとして失敗したカーネーション事件後、彼女の境遇はますます厳しくなり、散歩も禁止、24時間近くから2名の男性看守の監視を受け(着替えも食事もトイレさえも...!)、その看守と話すことも禁止されていた生活。


独房内をウロウロしたり、散歩する他の囚人を眺めたり、壁布から引き抜いた糸を紐にして編んだりして時間を潰していたそうです。


ヴェルサイユ宮殿で見たあの豪華絢爛なベッドルームを思い出すと・・・どんな気持ちでここで過ごしていたのでしょうか。



そしてこの礼拝堂にはマリー・アントワネットが使っていた遺品などが展示してあります。


展示ではマリー・アントワネットが処刑日の1793年10月16日の早朝に、義妹のエリザベートへ宛てた手紙の話もありました。


本物の手紙は国立古文書館にあります。


優しい義妹への感謝と、子供たちが気がかりなこと、同じ年の1月21日にすでに処刑になっていたルイ16世のもとへ毅然とした態度で行く覚悟などが書かれています。


ここにはヴェルサイユで華やかな暮らしをした、無邪気で活発な王妃の姿はなく、普通の1人の人間、女性、母親としての率直で切実な気持ちが綴られています。


しかしこの手紙はエリザベートには届かず、エリザベートもまた翌年5月に処刑されてしまいました。





牢獄されていた頃の肖像画も飾られていましたが、フランス王家に嫁いだ頃の若さと希望に満ちた輝きはどこへやら・・・やつれてはいるものの、フランス王妃として最後まで威厳を保とうとしている表情にも見えなくもないです。



この礼拝堂を出ると、5月の庭と言われる中庭があります。


女性の囚人はここで短い時間散歩を許されました。ここは当時のまま残っているそうです。


ただこの中庭は、死刑を言い渡された囚人が、ギロチン台に連れていかれる前の待機場所としても使われていました。


ここを通って、マリーアントワネットもコンコルド広場の処刑場に向かったのかも。



まだ子供の14歳の時に政略結婚でオーストリアからフランスに来て、フランス王妃になり、コンコルド広場で享年37歳で処刑される波瀾万丈な人生。


ちょっと感慨深いものがあります。

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